米川について

明治8年、狼河原村と鱒淵村が合併し米川村が誕生、昭和の大合併で昭和31年9月錦織村と合併し日高村が誕生、翌32年5月1日、日高村と米谷町が合併して東和町が誕生、平成の合併で、登米郡8町と本吉郡津山町が合併し登米市となりました。

米川地区は、登米市の北東部に位置し、北は岩手県藤沢町、東は気仙沼市、南三陸町に接し、面積73.8平方キロと広く、その内85%以上を山林が占める自然豊かな地域で、2012年12月現在、戸数993戸・人口2700人です。

以前は地域内に、米川小学校、鱒淵小学校の2校の他、3つの分校がありましたが時代の流れとともに過疎化が進み、人口減少で分校は廃止され、更に合併後の平成21年に鱒淵小学校が米川小学校に統合され、現在地域内の小学校は米川小学校1校のみとなっています。

地域内には数多くの名所旧跡、歴史的建造物が点在するほか、国の天然記念物に指定されている「集団生息 北限のゲンジボタル」や、国指定重要無形民俗文化財「米川の水かぶり」のほか、登米市指定の「綱木之里大名行列」「飯土井神楽」など、先人から伝統的な文化を受け継いで、現在に伝えられてきました。

平成17年4月登米市合併を受け、17年11月地域を構成している10行政区で、今後の地域内コミュニティ事業を推進するため「米川地域振興会」を設立し、地区民の協力を得て各種地域振興事業にも取り組んでいます。

平成23年4月より登米市から米川公民館、東和国際交流センターを米川地域振興会で受託し、管理運営しています。

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「米川の水かぶり」

八百年以上の受け継がれ、ユネスコ無形文化遺産に登録されたこの行事は毎年2月の初午の日に五日町の男たちによって行われる奇祭である。裸に藁で作った水かぶり装束を身に着け、顔に煤をぬった男たちは、大慈寺の秋葉山大権現に参拝し、神の使いに化身する。

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