葛西の家臣、亀卦川小四郎信明が、応安2年(1360)狼河原城主となり、采地300余貫を賜わった時から、天正18年、米谷修理が亡びるまで230年続いた。南北500m、東西200mと東和町一の大規模な山城である。
本丸、二の丸、三の丸と空堀で守られていて二段目の段は本丸の周囲をめぐり、馬場に使用されていた。尚、現在もこの段の東側に井戸跡が残っており、本丸北側に大同桜という古桜が植えられている。
葛西の家臣、亀卦川小四郎信明が、応安2年(1360)狼河原城主となり、采地300余貫を賜わった時から、天正18年、米谷修理が亡びるまで230年続いた。南北500m、東西200mと東和町一の大規模な山城である。
本丸、二の丸、三の丸と空堀で守られていて二段目の段は本丸の周囲をめぐり、馬場に使用されていた。尚、現在もこの段の東側に井戸跡が残っており、本丸北側に大同桜という古桜が植えられている。