この神社は康平5年(1062)源 頼義・義家が安倍貞任に勝利し、ここに建立した神社と伝わっている。その後荒廃した神社を永禄7年(1564)鳩岡城主葛西民部少輔の子孫太郎が再建し現在に至っている。別当は修験の八幡山大誓寺が勤め、明治元年(1868)の神仏分離令により八幡神社となった。
本殿には嘉永5年(1852)町の商人3人の寄進した立派な花天井があり、屋外には狼河原村の俳諧人たちが安政4年(1857)に奉納した掲額があり、その中に幕末の仙台で著名な俳諧人5名の俳句もあり、交流が盛んだったことが考えられる。
本殿は登米市の指定有形文化財、境内の杉の巨木太郎坊、次郎坊も登米市の天然記念物に指定されている。