寿庵は、伊達政宗に仕えたキリシタン武士で水沢の福原に1,200石を領していた。元和9年(1623)キリシタン弾圧に耐え切れず、その地を捨て南部領に逃れた。
その後行方は不明だったが、寛永初めに現在の北上沢に隠れ住んでいたが、やがて西上沢に移り今の後藤家を立てた人と同家に伝わってきた。
何年後か訴人があり、役人によって家の前のこの場所において成敗になったと秘かに同家に語り継がれてきた。
当然墓は無く無名の石が墓じるしとして立てられていたが、今は後藤家旧墓地に移され供養されている。大きな「寿庵の碑」は昭和27年に建立された供養碑である。