町の衆が伝承する奇祭『米川の水かぶり』 

土地の9割近くが山林である米川地域の中で、通り沿いに家や店の並ぶ「町」と呼ばれる地区があります。
古くは交通の要所として栄え、店も多く賑わった地区で、古い建物も所々に見られます。
1546434_600164483384515_1925304778_n
いつもは静かな所ですが、年に一度多くの人であふれる日があります。

2月の初午(はつうま)の日、伝統の火伏の行事『水かぶり』が行われます。
図7

町の男たちが独特の藁の装束を身に纏い、煤で顔を黒く塗り、神の使いの化身となって、家々に水をかけて歩きます。
一説には800有余年続くというこの行事、それを守り続けているのが約100世帯ほどの五日町の人々です。
地区外の人が水かぶりに出ると火事になるという言い伝えから、本祭に出るのは現在も五日町の出身者や居住者に限られています。

当日朝、町内の男たちは神様が一時滞在する『宿』である菅原家の庭先に集まり、支度を始めます。図2
それぞれ身に纏う『しめ縄』を編んでいきます。
頭部につける『あたま』は各々思い思いの形に仕上げます。
裸体にさらしを撒き、装束を身に纏い、煤を顔に塗ると、もう誰だか見分けがつきません。

『ぼんてん』を持った厄年の男を先頭に、一行は『宿』から大慈寺へと向かいます。
図1

大慈寺内にある秋葉大権現で火伏の祈願、移動して諏訪森大慈寺跡でも祈願すると、藁装束の男たちは神の使いの化身となります。
そして奇声をあげながら米川の町の中を歩き、用意された手桶の水を一軒一軒にかけて行きます。
図8

装束の藁を引き抜き、家の屋根にのせると火伏のお守りになると言われていることから、沿道の人々は寄ってたかって藁を引き抜きます。
特に子供たちは我先に、少しでも多くと男たちを追い、男たちは負けじと逃げ、男たちが家にかける水は周りの人々にもかかり、町は歓声と笑いに溢れます。
図3

町の端にある八幡神社と若草神社にお参りし、行事は終了です。
図4

装束の藁がほとんど抜き取られ、露わな恰好となった男たちは、町の本通りではなく川沿いの道を通って『宿』まで戻ります。
履きなれないわらじのため足から血を流しながら、歩く人もいました。

図6藁装束の男たちとは別にひっそりと歩くのがひょっとことおかめ。
ひょっとこは「火男」から来ており、口をとがらせた顔は火を吹く姿と言われます。
彼らは家々を回り、ご祝儀を集めます。古くは桶にお酒を集めたと言います。

祭りが終わった後に行われる『かさこす』には祭に参加した人々が集まり、祭りの成功を喜びながら、どんちゃん騒ぎとなります。
図5
今年水かぶりに出たのは13歳から70歳の男たち、高齢の方たちも受け付けや運営に携わります。女たちは前日から800人分の豚汁を準備し、振舞います。
老いも若きも男も女もそれぞれの持ち場で祭りを盛り上げる様は、一つの場を共有する大きな家族のようだと『かさこす』の盛り上がりの中で感じました。
五日町の男にしか参加が許されない祭りだからこそ、地域が一体となって祭りに取り組むのでしょう。一方で、祭りの手伝いに訪れた見ず知らずの大学生たちを暖かく迎え入れ、一緒に盛り上がる姿は人々の懐の深さを感じました。代々この地に住む家系ではなくても、五日町に住めば参加できるというのは、伝統を守りながらも他所の人を迎え入れる大らかさを象徴しているように思います。

『水かぶり』の独特な行事と地域の人の雰囲気に感動し、やっぱりこの地域が好きだなあと、じんわりと感じた一日でした。

(※詳しい情報は下記リンクでも紹介されています。)
 米川の水かぶり宿ブログ
 NHK映像マップみちしる
 ダイドードリンコ日本の祭り